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Channel: 尼崎太鼓愛好会の日々徒然
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もう一度食べたいけど、二度と味わえない牛アキレスの味噌煮込み((T_T))

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中華料理屋さんの玉子焼きと同じ頃の話し。
門真市の下馬伏にあった食堂。
厨房をL型に囲ったカウンターと壁がわに真っ直ぐのカウンターで15人位入れました。
このお店も年配のご夫婦でされてました。
お父さんが料理を作り、お母さんが配膳やごはん盛。
ここも定食はなく、単品のみの食堂でした。周りは工場が多くあり、昼ともなると結構繁盛してました。
うどんや中華そば等を、眼鏡をし、頭にタオルを巻いたお父さんが一生懸命作ってて、注文が重なるとちょっとパニック。それでも料理を作らないお母さんはのんびり_(^^;)ゞ

その中でも美味しかったのはちゃんぽんで、太めの中華そばにてんこ盛りの野菜で、癖のないしょうゆ味のちゃんぽんでした。
ただ、ちゃんぽんは作るのに一番時間がかかるので、パニック時に注文すると、出来上がりが飛ばされ最後になるって事も屡々でした_(^^;)ゞ

壁のカウンター奥には、朝から作ったおかずの小さなショーケースがあり、煮魚や韮いため等のおかずがありました。
その中で、ちゃんぽんよりも好きだったおかずが、牛アキレスの味噌煮込みでした。毎日は無くて一週間に一度か二度ショーケースに並んでました。
これが、ほんと美味しくて、牛アキレスのみで、よくあるこんにゃく等は入っていませんでした。これだけでごはん何杯でもいくる位の味でした。お父さん生まれが九州と言ってましたから、ちゃんぽんも牛アキレスも味がそうだったのかも知れません。

ある時から、食堂が前触れも何も無くシャッターが締まってて営業しなくなり、貼り紙もなく、どうしたんだろう?お父さんかお母さんが入院でもしたのかなと思っていました。

ひと月位した時、駅前でお母さんにばったり会いましたら、こちらの顔を見るなり、泣いてお父さんが亡くなったと、朝起きたら、お父さんが動かなくなっていたと((T_T))
食堂の料理は全てお父さんが作ってたから、食堂出来なくなったんだと、ずっと泣きながら言ってました((T_T))
お父さんが亡くなってからは、ずっと娘さんのところにお母さんはいたそうで、店の片付けに来たと、で、駅前で偶然虹亀に会ったという事でした。お仏壇は食堂でなく、娘さんのところにあるらしく、お父さんに手をあわそる事は出来ませんでした((T_T))

もう一度あの牛アキレスとちゃんぽんの味をと思いますが、一生懸命料理を作っていたあのお父さんだから、作れた味だったんだろうと思っています。

今でも、食堂とかでちゃんぽんや牛アキレスの味噌煮込みがあったら食べてみますが、あの味には出逢えてないです((T_T))(虹亀)


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